Trans Europe Express


フランス、ドイツなどヨーロッパの旅の話題を中心に、映画、音楽、ダンス、アート鑑賞記録も。
by AngeBleu
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「愛、アムール」

ミヒャエル・ハネケ監督の最新作で、昨年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した作品。ハネケにしては毒がないなどという前評判も耳にしていましたが……。いやいや、そんなことはありません。老老介護というテーマ、「Love」というタイトルから想像されるような、深い余韻や感動とはまったく無縁。毒気たっぷりの、恐るべきアンチメロドラマでした。

それにしてもキャストがすごいです。ジャン・ルイ・トランティニャン(ジョルジュ)とエマニュエル・リヴァ(アンヌ)の美老人ぶりには目を瞠るばかり。さらに、ピアニストのアレクサンドル・タローが本人役(元ピアノ教師だったアンヌの教え子という設定)で出ていたのには驚きました。劇中で流れる音楽はもちろんすべてタローの演奏です。実際の演奏場面もありました。老夫婦のサロンを訪ねたタローが、半身不随となったアンヌの求めに応じて、ベートーヴェンの「バガテルト短調」を弾くのです。いかにもタローらしい洒脱な演奏! 映画のなかでここだけ場違いな明るさ(笑)バガテルといえばベートーヴェンの最晩年にして最後のピアノ曲ですが、不安や翳り などみじんもない輝きにあふれた曲なのですね。シューベルトの最晩年の曲の暗さとは対照的です。その、そこはかとなく死の香り漂うシューベルトは作品全体に通奏低音として響いています。アンヌは死を感じさせるものはすべて遠ざけたかったのでしょう。たとえ愛する音楽でも。のちに愛弟子から贈られた最新CDはシューベルトの作品集でしたが、彼女は聴くことを拒否するのです……。

「愛、アムール」のサウンドトラックは、アレクサンドル・タローのミニアルバムのような趣になっています。7曲しか入ってないのかーと思いつつも、hmvの輸入盤まとめ買い価格で984円だったので、買ってしまいました。映画中のタローはシューベルトのソナタ集を録音したことになっていましたが、その企画は現実でも進行しているんでしょうか? シューベルトもですが、少しだけ流れていたバッハ/ブゾーニのコラール前奏曲集もぜひお願いしたいな~なんて思っています。
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by AngeBleu | 2013-04-01 21:26 | 映画

映画『白いリボン』

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渋谷のユーロスペースのレイトショーで、見逃していたミヒャエル・ハネケの『白いリボン』を鑑賞。久々に最初から最後までずっしりと高密度な映画を観ました。舞台は、1910年代の北ドイツ。中世さながらの荘園制度が残る農村で起こった一連の不吉なできごとが描かれていきます。サスペンス仕立てではありますが、決して謎解きが主眼ではありません。事件の真相ははっきりと示されることはなく、ただただ村の中に漂うなんともいえない不穏な空気、閉塞感が淡々と描写されていきます。その息苦しさ、いやらしさといったら……。

タイトルの「白いリボン」は、牧師である親が悪いことをした我が子につける罰の印。「おまえたちの純真を守るために」と牧師は言いますが、実は抑圧の象徴なのです。終盤近くで、村に「サラエボ事件」の一報が飛び込み、この物語が1914年、第2次世界大戦前夜のできごとであったことが明かされます。歴史のその後を知っている私たちは、村人たちがその後、数十年にわたってさらなる抑圧のもとで生きることを想像し、暗澹とした気持ちにならずにはいられません。それにしても、『ピアニスト』もそうでしたが、この監督は、抑圧下の人間の心理を描いて観る者を不快な気持ちにさせるのが本当にうまいです。

『白いリボン』公式ホームページ
http://www.shiroi-ribon.com/

ユーロスペースでのレイトショー(21:00~)は、3月11日(金)までです。
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by AngeBleu | 2011-03-05 19:17 | 映画

『何も変えてはならない』『シルビアのいる街で』

土曜日は久しぶりに、渋谷で2本の映画をはしごしました。2本とも、今までに観たことのないような映画でした。

まず1本目は、ペドロ・コスタの『何も変えてはならない』(ユーロスペースにて)。
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アルカイックな美をたたえた女優ジャンヌ・バリバールの歌手活動のドキュメンタリーです。ドキュメンタリーといっても、レコーディングやライブ会場の様子を固定カメラでたんたんと映しているだけ。タイトルは、ゴダールの「何も変えてはならない、すべてが異なるために。Ne change rien, pour que tout soit différent...」という言葉から取られていますが、哲学的すぎて私にはよくわかりません(^^ ;)  とはいえ、ほとんど暗闇のような場所でバリバールの顔だけをアップでとらえた映像の美しさには惹かれました。バリバールは歌が下手なのはまあいいとして、カリスマ性はない、暗さも足らん、なんでこんな中途半端な音楽をえんえんと聴かされるのか……とイラっとくる人もいるでしょうが、その下手さ加減を見つめるのがこの映画の狙いなのでしょうか。ラストの、楽屋?みたいなところでの即興演奏だけはすばらしく、音楽が生まれる奇跡のような瞬間をとらえていたと思います。
中盤、バリバールとは何の関係もなさそうな古びたカフェの店内で、アジア人の女性(というか、おばさま)2人がひたすら煙草をふかしながらこちらを見つめいてるという、不思議なシーンが挟み込まれていました。一緒に観に行ったTくんの記憶では、これは谷中にある「かやば珈琲」という喫茶店なのだそうです。なぜ、このシーンがあるのか……謎……。

2本目は、スペインのホセ・ルイス・グリン監督の『シルビアのいる街で』(シアターイメージフォーラムにて)。
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ストラスブールを旅行で訪れたらしき青年が、カフェのテラスに座り、おしゃべりに興じる周囲の女の子を観察してはスケッチしています。女性を物色しているようにも見えるのですが、並の男がやっているとキモい!!ってなるところが、まあまあイケメンのため、やらしさはあまりない(笑)。やがて彼はひとりの女性に目を留めます。あれは、6年前にこの街で出会ったシルビアでは? カフェを出た“シルビア”を追って、青年も歩き始めます。
時に見失い、また見つけ、旧市街の路地から路地へ……青年の追跡が続きます。足をひきずった花売りのおじさん、物売りのアフリカ人、買い物かごを下げたおばさんなどなど、普通の人々が行き交う裏通り。石畳の道に響く足音や、酔っぱらいの転がす酒瓶の音、民家から漏れるラジオの音、あらゆる生活音が聞こえてきて、自分も映画の中の街を歩いている気分になります。まるで「世界ふれあい町歩き~ストラスブール編」。
ストラスブールには二度ほど旅行で訪れたことがありますが、見覚えある風景はありませんでした。最初のほうにクヴェール橋からカテドラルを眺めた絵はがき的ショットがあった以外は、いわゆる観光地ストラスブールの風景は出てこないのです。ただ、路面電車(トラム)だけが、主要な舞台としてとても効果的に使われていました。
結局、「君、シルビアだよね?」と声をかけたものの、「違うわよ」とつれない返事。彼女はつけられていることに気づいていて、まくためにわざと遠回りをしていたそうです。だから同じ場所を何度もぐるぐると回っていたんですね。人違いだということはわかった、でもここから新しいロマンスが始まるのでは?と思いきや、そんなことも起こらず……。翌日、ふたたび街をさまよい歩く彼が“シルビア”と出会うことはありません。彼とは無関係のさまざまな女たちの顔が、幻覚のように浮かんでは消えていきます。リアルな街の雑踏の音も、なんだか遠いところから聞こえる幻聴のようです……。
設定は現代(21世紀)のはずなのに、ブロンディーとか、「Voyage Voyage」とか、80年代ヒット曲ばかり流れていたのもおもしろいです。20年ぶりくらいに聴いた~。心のさまざまな部分を刺激してくれる不思議な映画でした。
ちなみに、主人公が泊まり、クラブでナンパした女の子を連れ込んでいたホテル「パトリシア」は実在しているようです。HP見つけました。シャワー共同の部屋なら32ユーロ……って、今時珍しい安宿ですね。今度ストラスブールに行ったら泊まってみようかな。
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by AngeBleu | 2010-08-15 23:03 | 映画

『こうのとり、たちずさんで』

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『こうのとり、たちずさんで』の冒頭で、国境警備隊の大佐が、テレビレポーターの主人公アレクサンドロスを国境線に案内する場面があります。橋の向こう側には、銃を構えた隣国の兵士。国境を示す1本の線の上で、大佐は、飛びたとうとするこうのとりのように片足をあげて、言います。
「飛んで異国に行けるか、あるいは死か、それが国境だ」

この映画のフランス語の題名はなんだったけ、と調べてみると、「Le pas suspendu de la cigogne」でした。「こうのとりの宙吊りになった歩み」、「こうのとりの中断された歩み」という意味です。これを「こうのとり、たちずさんで」と訳した人はすごいですね。「たちずさむ」という言葉を、ほかで聞いたことがないので、このタイトルを考えた人が作った造語なのでしょう。「たちつくして」や「たちすくんで」のほうが普通で自然な日本語だと思います。でも、あえて「たちずさんで」という、違和感のある言葉を使うことで、国境を前にした人々の「生か、死か」という途方もない恐怖、そして、静止した体の中に秘められた「それでも飛び立ちたい」という強いエネルギーを表現したかったのでしょう。

ところで、フランス語タイトルをネットで調べているときに、フランス版ポスター画像を見つけたのですが……。「こ、これは……」と思わず絶句。
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こんなシーンなかったし!!
もはや、アレクサンドロス、「たちずさんで」ないし!!
写真があるということは、このシーンも一応撮影されたのでしょうか。
物語の傍観者にすぎなかったアレクサンドロス、そして彼と同じ立ち位置にいる観客もまた、飛び越えるべき国境を持つ一羽のこうのとりであることに気づかせてくれる、非常におもしろい絵だとは思いますが……。
でも、なぜに真っ裸?(笑)
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by AngeBleu | 2010-04-05 21:24 | 映画

映画『パリ20区、僕たちのクラス』

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2008年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『パリ20区、僕たちのクラス』がようやくこの夏日本公開されることになりました。六本木のフランス映画祭でも上映されたようですが、20日(土)に飯田橋の日仏学院で無料上映をやっていたので、こちらで観ることに。上映後、ローラン・カンテ監督によるトークショーもあり、なかなかおもしろい話が聞けました。

舞台は、パリでも移民の多い地区であるパリ20区にある中学校。そこに集まるさまざまな問題を抱えた生徒たちと1人の国語教師の1年間の“戦い”を描いた作品です。原題は『Entre les murs(壁の中で)』。そのタイトルどおり、ほぼ全編が4枚の壁に囲まれた狭い教室の中で撮られています。だからといって退屈だったり息苦しかったりということはまったくありません。教師と生徒たちの間で交わされる会話が、ドキュメンタリー映画か?と錯覚するほど、リアルで生々しくスリリングなのです。生徒たちは、この映画のためのワークショップ参加者から選ばれた地元の中学生。国語教師のフランソワも原作の小説の作者である現役教師が演じているというから驚きました。

フランスの国語の授業がどのように行われるかがわかるのもおもしろく、ちょっとフランス語をかじったことのある人なら、自分も授業に参加しているような気分になるはず。フランスでは文部省みたいなところが決めた教科書を使うのではなく、市販されている本の中から教師が自由に教材を選ぶんですね。それを読ませて、自分はどう考えるかを自分の言葉で表現させるのです。教師が一方的に正しい答えを教えるだけの日本の学校とはずいぶん違います。教室とは、対話の訓練をする場所。国語(フランス語)を学ぶ目的は、自分の考えや意見を(その場の状況に応じた言葉遣いで)表現できるようになること。それを学ぶことができた者は、たとえ貧しくても、どんな出自であっても、この世を生き抜くための武器を身につけたことになるのです。学年の終わりに1年間で何を学んだかを各自発表するときに、ある女子生徒が「プラトンの『国家』を読んで、対話の大切さを学んだ」と語ります。前半の投げやりなアホ面とは打って変わった、輝く笑顔が印象的でした。

しかし残念ながら、すべての生徒がその武器を身につけられるわけではありません。教師の力には限界があるうえに、フランスの教育システムにもかなりの欠陥があるようで、落ちこぼれた生徒は容赦なく切り捨てられるしくみになっているのです。「1年の間で何ひとつ学ぶことができなかった」と訴える生徒に、フランソワは口先だけの励まししかできません。また、日本ではありえないような些細な理由で退学させられる生徒もいて、そのエピソードは非常に後味が悪いものでした。フランスの教育現場における「懲罰主義」は、大昔の映画『操行ゼロ』や『大人は判ってくれない』の頃とまったく変わっていないようで、暗澹とした気分になります。こんな底辺校を追い出された生徒に、次の受け入れ先があるのでしょうか。出身国のアフリカにも現在住むフランスにも居場所をなくした子供が、この先どうやって生きていけばいいのでしょうか。「理想的な教師やユートピアとしての教室を描くつもりはなかった」と監督が語るように、きれいごとだけではない厳しい現実をありのままに見せているのがこの映画のいいところなのですが……。劇場公開時には、多くの人にショックを与え、論争を呼びそうです。

「パリ20区、僕たちのクラス」の映画詳細、映画館情報はこちら >>
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by AngeBleu | 2010-03-23 00:18 | 映画

アデュー・ロメール

3月6日から19日まで、ユーロスペースで、今年1月に逝去したエリック・ロメール監督の追悼特集上映をやっています。

未見の最近の作品を観るチャンスだったのですが、ほとんどが平日の昼間の上映なので行くことができない……。結局、昨日の日曜、何度も観たことのある『緑の光線』と『友だちの恋人』の2本だけを観に行きました。

ロメールの作品の中では『モード家の一夜』や『満月の夜』などのほうが完成度が高いと思うのですが、私が一番好きなのは、『緑の光線』と『友だちの恋人』。フランスに憧れてフランス語を勉強しはじめた頃に観たので、特に思い出に残っています。主人公の女の子たちが同年代で、しかもなんか自分に似たところがある(いわゆるKY・笑)のも共感できたし。バカンス、自然の音、おしゃべり、偶然、驚きのラスト、などなど、ロメールの魅力が全部詰まった映画だと思います。久しぶりに観て、フィルムが結構劣化、退色していたのがちょっとショックでしたが(ついこの間観たばかりのような気がするけれど、もう四半世紀前の映画なんだなあ……)、見終わったあとの幸福感、ときめきは、時を経ても変わらず。Adieu et merci Rohmer !
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以下は、今回観て新たに思ったこと、発見したことなどのメモ。

『緑の光線』
・デルフィーヌは相変わらずうっとうしい女の子だ(笑)。中身がからっぽなのは周りの人も皆同じだけど、ひとりだけそれに気付いてしまったのはかわいそう。
・ブルターニュの森の音とビアリッツの波の音。私もときどきこういうリゾート地をひとりきりで歩くときがあるので、デルフィーヌのいいようのない寂しさがよくわかる。
・ラストシーンの海岸は、サン・ジャン・ド・リュツ。ビアリッツの隣町で、スペインの国境に近い港町ですね。今度行くことがあれば、日没を見てみよう。

『友だちの恋人』
・舞台はセルジー・ポントワーズだということがわかった。RERのA線終点に近い、パリ郊外の新興住宅地。ブランシュの住んでいるアパートは、リカルド・ボフィルとひとめでわかるネオクラシック建築。南フランスのモンペリエで、そっくりな集合住宅を見たことがある。こんな団地に住みたいなあ。
・レアを演じたソフィー・ルノワール(画家のルノワールの曾孫だとか)は、本当に美人。女優のきれいさではなく、フランス人の普通の女性に感じる生き生きとした美しさ。この映画以外では見たことがないけれど、40代の今もさぞかし美しいのだろうと想像する。
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by AngeBleu | 2010-03-15 19:53 | 映画

「ジャック・ロジエのヴァカンス」

ユーロスペースで2月に上映していた、ジャック・ロジエ監督特集「ジャック・ロジエのヴァカンス」。見逃したー!!と思っていたら、3月6日からアンコール上映会がありました。「アデュー・フィリピーヌ」と「メーヌ・オセアン」を観に行きました。

アデュー・フィリピーヌAdieu Philippine(1962年)
「アデュー・フィリピーヌ」といっても、フィリピン人は出てきません。仏和辞書によると「Philippine=フィリピーヌ遊び」とは、アーモンドに核がふたつあるとき、核をふたりで分け合い、次に会ったとき、先に「ボンジュール・フィリピーヌ」と言ったほうが贈り物をもらうというゲームとのこと。映画の中では、親友同士の女の子ふたりが男ひとりを取り合っていて、「朝起きて先に“ボンジュール・フィリピーヌ”と言ったほうが“彼”をもらうのよ」なんていう会話をします。瓜二つのふたりのことを「amandes philippines」というそうで、そのとおり、主人公のふたりは、見た目も頭のからっぽぶりも、双子のようにそっくり(おかげで、私はかなり終わりのほうになるまで、どっちがどっちか見分けがつかず困った)。フランス映画の登場人物はだいたい皆頭からっぽなことが多く、それを屁理屈や饒舌でごまかそうとするところがおもしろいのですが、この映画に出てくる女の子たちはただケラケラ笑っているばかり。共感できる要素がひとつもなかった……。タイトルはこじゃれているし、はっとするようなおもしろいシーンはいろいろあって、決して退屈な映画ではないのですが。

メーヌ・オセアンMaine Océan(1986年)
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これはおもしろかったです。まるで、行先不明のミステリートレインに乗ったみたい! 驚きました。
映画は、ブラジル人の女の子がパリ・モンパルナス駅で動き始めた列車に飛び乗るシーンから始まります。女の子が席に落ち着くとまもなく、車掌が検札にやってきて、彼女の切符に「パンチ」が入っていないから罰金を取るといい出して……。
そう、フランス国鉄の駅には改札がなく、自由にホームに出入りできるのですが、ホーム入口にある刻印機で自分で切符にパンチを入れる必要があるのです(フランス語でコンポステComposterと言います)。普通、外国人はそんなこと知らないですよねえ。私も知識としては知っていても、習慣がないから、コンポステを忘れてそのまま電車に乗ることがしょっちゅうありました。見つかったときは、アホの子のふりをしてごまかしていました(笑)。「外国人だからしゃあないな〜」という顔で見逃してくれる車掌さんばかりだったのは、単に運がよかったんでしょうか? とにかく映画の中では、フランス語のわからないブラジル娘と、頑固な車掌、そして横から割り込んできた弁護士の女も交えて、押し問答がえんえんと続きます。
なんとかこの難局を切り抜けたブラジル娘と女弁護士。すっかり意気投合して「一緒に海に行きましょう」と電車を降りるのですが、それ以降、話は思いもよらぬ方向(行き当たりばったり?)にどんどん進んでいきます。テーマが何なのかいつまでも見えてこないし、いつの間にか主役が変わっているし。無意味に壮大で感動的なあのエンディングは何なの〜? と、あっけにとられました。
ちなみに「メーヌ・オセアン」とは、パリ・モンパルナス駅発大西洋岸行きの特急列車の名前。ただし、今はもう走っていません。TGVの開通後、この路線の特急列車はなくなってしまいました。

もうひとつの長編「オルエットの方へ」も観たいけれど、同じ映画館でエリック・ロメール特集も始まっているし……。今月はなにかと時間のやりくりが大変そうです。

「ジャック・ロジエのヴァカンス」アンコール上映は19日まで。名古屋シネマテークでも3月20日に上映開始だそうです。

ジャック・ロジエのヴァカンス公式HPはこちら
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by AngeBleu | 2010-03-08 20:52 | 映画

映画『アンナと過ごした4日間』

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この映画を観ようと思ったのは、ひとえにポスターの写真の美しさに惹かれたから。ヨーロッパのどこかの美術館でこんな絵見たことあるような気がする。冬のさなか、垂れ込めた雲の間から太陽が顔を出し、平凡な田舎町が天国的な光に照らし出さされる瞬間……。しかし、この美しい風景画のような情景が出てくるのは、ほんの15秒くらい。このシーン以外、映画の中に明るい光はなく、物語はすべて曇天の下や夜の暗闇の中で進んでいく。暗く寒々とした映像が、主人公(そして、そこに住むすべての人々)の底なしの孤独を表しているかのようだった。

舞台はポーランドの寒村。冬枯れの農地が広がり、廃屋が目立つ。この村の病院で雑役係として働く中年男レオンは、年老いた祖母とふたりで暮らしている。彼の楽しみは、近くの看護師寮に住むアンナを覗き見することだった。かつてレオンはたまたま目撃した強姦事件の濡れ衣を着せられ、服役していたことがある。実は、アンナはその強姦事件の被害者だったのだ。やがて部屋を覗き見するだけでは飽きたらなくなったレオンは、夜中にこっそり忍び込むという行動に出る。その部屋で彼がしたことといえば、とれかけたボタンをつけたり、寝ている彼女の足にペディキュアを塗ったり、退職金をはたいて買ったダイヤの指輪をはめようとしたり……。寝間着がはだけて彼女の胸があらわになっても、決して触れることはない。ただ息をこらして見つめるだけだ。

行為だけを見れば、かなり気持ち悪いストーカー。でもレオンにはそれよりほかに自分の思いを表現する方法はなかった。非嫡出子として生まれ、祖母に育てられたというレオン。おそらく祖母以外の人とまともな交流などしたこともないまま過ごしてきたのだろう。見た目はむくつけき中年男だが、中身は小さな子供のままなのだ。

アンナについては劇中で何の説明もないが、彼女もまた幸薄い人生を送ってきたことが察せられる。中年とまではいかないが決して若くはない女。看護師寮の殺風景なひとり部屋と病院を往復する毎日。レオンがアンナに惹かれたのも、彼女に自分と同じ深い孤独を見い出したからかもしれない。レオンが置いていった指輪を見つけ、それを指にはめて暗闇の中で物思いにふける、アンナの目の中のさびしげな光。その胸にはどんな思いが去来していたのだろうか。

監督のイエジー・スコリモフスキはアンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキーと並ぶポーランドの巨匠だそう。といっても私は全然知らないので、彼の17年ぶりの新作……と聞いてもぴんとこない。でもそんなこととは関係なく、ひとつひとつのシーンが心に落ちてきて、見終わったあといつまでも残るような、いい映画だった。

「アンナと過ごした4日間」の映画詳細、映画館情報はこちら >>
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by AngeBleu | 2009-11-15 15:41 | 映画

ファティ・アキン『SOUL KITCHEN』@ドイツ映画祭2009

現在(10月15~18日)開催中のドイツ映画祭で上映された、ファティ・アキン監督の最新作『SOUL KITCHEN』を観ました。ハンブルクの下町のレストラン「ソウル・キッチン」を舞台にした人情喜劇。ストーリーはごく普通なのですが、テンポがよく、出てくる人が味のある人ばかりで、とてもおもしろかったです。『愛より強く(Gegen die Wand)』の主役だった人(ビロル・ユーネル)が一風変わった天才シェフの役で出ています。個人的には、主人公の弟で、仮出所中のちょいワル男(頭も悪い)が気に入りました。モーリッツ・ブライプトロイという人で、ドイツのトップ俳優だそうです。主人公が物語の最初に腰を痛めて最後までずっと変な動きだったのもおかしかったです。もしかしたら、俳優さんが本当にぎっくり腰になったからああいう設定にしたのかな? ぎっくり腰を1年に1回はやる私としては、笑えると同時に非常に身につまされました。懐メロ風味のスペイン歌曲「ラ・パロマ」、ソウルフルなロック……と、いつもながら選曲のよさにもうならされました。

社会派で通っているファティ・アキン監督の新作がコメディ映画だったことは、ドイツではかなり驚きをもって受け止められたのだとか。でも、前作の『そして私たちは愛に帰る(Auf der anderen Seite)』は、死という重いテーマを扱いながら、描き方は決して重くなかったように思います。「それでも生きていく」という、人生に対する強い肯定が感じられ、後味は非常にさわやかでした。この『SOUL KITCHEN』も、その延長上にある作品。単にドタバタなコメディなのではなく、人への愛、町への愛、生活への愛にあふれた、タイトルどおり「ソウル/魂」のこもった映画です。

ドイツでは12月に公開されるのだとか。ドイツ映画が本国より早く日本で観られるなんて、めったにないことですよね。しかも、主演俳優のアダム・ボウスドウコスさんと、プロデューサーのクラウス・メックさんの舞台挨拶と質疑応答付き。土曜の朝10:00という常識外れの早い時間にわざわざ出かけたかいがありました。
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by AngeBleu | 2009-10-18 02:42 | 映画

アレクサンドル・ソクーロフの『ボヴァリー夫人』

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シアターイメージフォーラムで公開中の、アレクサンドル・ソクーロフ監督『ボヴァリー夫人』を観た。

「フローベール没後130周年記念ロードショー」という触れ込みだが、いわゆる「文芸映画」を期待して観に行ったら、間違いなくがっかり・・・というより怒り狂ってしまいそう。まずエンマが、まったく美人でもなければ若くもない。のどかなノルマンディーの田園風景も出てこない(撮影されたのは、中央アジアのとある村だという)。19世紀初めという時代設定に合わない奇妙な衣装(ディオールのデザインだとか)。絵画のように美しい場面もあるけれど、随所に生理的不快感をかき立てるような映像や音響が差し挟まれる。「大きいもの恐怖症」(周りのものと比べて比率がおかしいものが怖い)の私には、ぞっとする場面もいくつか。特に最後の葬送のシーンがすごかった。異様に大きな棺がほんとに怖い。原作が『ボヴァリー夫人』であることを忘れ、その奇怪な映像「美」に心を乱されるばかりだった。

葬送のシーンは原作にないエピソードだと思っていたのだが、いま手元にある小説の『ボヴァリー夫人』をたしかめてみると、エンマは樫とマホガニーと鉛の三重の棺におさめられた、とちゃんと書いてある。「一番外側の棺は大きすぎた」「六人の男がかついで、息をあえがせながらよろよろと歩いた」とも。原作をまったく裏切っているような映画の中で、このシーンだけは、フローベールのテキストに忠実に作られていたのだ。三重の棺の中に肉体を封印することで、ようやくエンマは魂の救いを得たというのだろうか。おそるべき映画、そして、おそるべき小説。久しぶりに『ボヴァリー夫人』を再読してみたくなった。

「ボヴァリー夫人」の映画詳細、映画館情報はこちら >>
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by AngeBleu | 2009-10-11 10:23 | 映画

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