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知られざるフランスの美術館(2)プティ・パレ美術館(アヴィニョン)

中世の頃、ローマ教皇庁がローマではなく、フランスの一地方に置かれていたことがあります。1309年から1377年の「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれる時期です。フランス人のクレメンス5世がフランス王の強い後押しを受けて教皇に即位したあと、そのままフランスにとどまり、アヴィニョンに教皇庁を作ってしまったのでした。南仏の小さな田舎町にすぎなかったアヴィニョンは、そのときから一躍、ヨーロッパの宗教、文化、芸術の中心地となったのです。

ドーデの短編小説集『風車小屋だより』の中の一篇『法王のらば』には、当時のアヴィニョンの賑わいがこんなふうに描かれています。
「法王在せしころのアヴィニョンを見ぬ者は、何も見ないと同じこと。陽気で、元気で、にぎやかで、祭りの活気のあること、これに並ぶ町はない。朝から晩まで、行列だ、巡礼だ、花で埋まり立機織を敷き詰めた往来だ。・・・(中略)・・・このころは、町の通りが狭すぎて円陣踊(ファランドール)ができず、笛とタンバリンとがアヴィニョンの橋の上、ローヌ河の涼風の中に陣取ったので、昼となく夜となく、そこで踊るわ、踊るわ・・・ああ、楽しき時代! 楽しき町!」(桜田佐訳 岩波文庫)
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教皇庁が去ってから何百年も経ちました。しかし今でもアヴィニョンの町には、ここに描写されたような陽気さ、華やぎがただよっているような気がします。写真は、要塞のようないかめしい外観の教皇庁宮殿跡。残念ながらフランス革命時に徹底的に荒らされたので、内部にはほとんど何も残っていません。かろうじてところどころに残るマッテオ・ジョヴァネッティらシエナ派の画家によるフレスコ画が、当時の教皇の生活の華やかさを偲ばせてくれます。

この町にも、小さいながら見逃せない美術館があります。
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写真は、教皇庁の屋上テラスからの眺めですが、左下に見える建物がプティ・パレ美術館
ここには、教皇庁の装飾のためにイタリアから招かれたシエナ派の画家たち、彼らの影響で生まれたアヴィニョン派の画家たちの絵が集められています。14〜15世紀のアヴィニョンとイタリアとの芸術交流がうかがえ、美術史好きにはとても興味つきない美術館です。これだけまとまった数の初期イタリア・ルネサンス絵画が見られる美術館は、フランスには他にないでしょう。どういう経緯でこの美術館に来たのかはわかりませんが、ボッティチェリの『聖母子』もあります。1464年から1470年頃の作品とされているので、20代前半のキャリア初期の作品ということになります。師匠であるフィリッポ・リッピの優美な聖母子像の影響が感じられますが、どこか憂いをおびた聖母の表情はのちのボッティチェリを予感させるものです。
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by AngeBleu | 2009-05-28 18:26 | 南仏プロヴァンス